自分の子どもが発達障害と診断されて悩んでいる人。
もしかしたら、そうかもしれないと思っている人。
今日は、そんな人を勇気付ける対談を紹介します。
参考資料:「プレジデント」2022.3.4号「精神科、心療内科の裏側」
本誌内で掲載された書道家・武田双雲さんと脳科学者茂木健一郎さんの対談が素敵だったので、あえて紹介させてもらいます。
多くの人が持つ発達障害の誤解
有名な書道家である武田双雲さん。
実は、大人になってから、発達障害(ADHD)のテストをして見たところ、当てはまったそうです。
双雲さんは、いわゆる、クラスなどでじっとできない子どもだったようです。
では、なぜ怒られるとわかっていてもじっとできないのか。
双雲さんによれば、多くの人が「発達障害」=「空気を読まないワガママな人」と誤解していると言っています。
ですが、双雲さんによれば、「発達障害」は気が強いから空気を読まないのではなく、
「気は弱いにも関わらず、空気を読めない」のだそうです。
何度もその行動で先生や大人から注意をされても、
「今、これをやりたい!」
「今、アイデアを思いついた!」
というような衝動に抗うことはできない、コントロールすることができないのだそうです。
そして、怒られて初めて「しまった」と気づくそうです。
必要なのは周囲のサポート
周囲の人からは何度もいうことを聞かないで自分勝手なことをする人と思われてしまう「発達障害」。
自分ではどうしようもないことを怒られ続けてしまうと、何が起きるか。
それは、二次被害です。
いわゆる、不登校や他の問題行動への転換、またはそれらの助長に繋がってしまいます。
特に、注意や叱責を続けられてしまう人は自己肯定感が低くなってしまいます。
双雲さんを救った親の言葉
幸運にも双雲さんは、両親が「すごい!」「天才!」と褒め続けてくれたそう。
今思えば、それが救いだったと言っています。
このように「発達障害」の人に必要なのは、特性を理解し、それを受け入れてくれる人、周囲の環境なのです。
アインシュタインも発達障害
相対性理論を打ち出したかの有名な「アインシュタイン」も、「発達障害」があったと言われています。
彼の相対性理論は彼一人では完成しなかったことが最近の調査でわかりました。
実は、彼の相対性理論を完成させたのは、最初の妻のミレディだったと言われています。
アインシュタインが、相対性理論を書き上げた後、ミレディはそれらを険算し、文書も整えた上で、投函したことがわかっています。
アインシュタインのアイデアを他の人に伝わるように手直ししたのは彼女の功績です。
つまり、彼女なしでは、相対性理論は世に出てこなかった可能性があると言えます。
冒頭でも言いましたが、「発達障害」を「障害」ではなく、個性とみなすことが必要です。
人は誰でも得手不得手がありますよね。
障害もそれと同じです。
ただ、その度合いが大きすぎるだけと考えましょう。
誰だって、自分の得意なことをしている時が一番輝いているはずです。
武田双雲さんも、スケジュール管理が苦手だそう。
そのため、そのような細かい業務は奥さんが代わりにしてくれているそうです。
まさに、アインシュタインと同じで理解者によって支えられているということですね。
このように、私たちは、お互いに得意なことを行い、苦手なことはそれが得意な人にお願いしたり、任せたりすればいいのです。
茂木健一郎さんは、対談の中で、そのような考え方を「個人分業」と読んでいます。
SONYの創業者、井深大さんは、創業時の思いとして「自由闊達にして愉快なる理想工場の建設」を掲げていたそうです。
つまり、大きな工場の中で、一人ひとりがそれぞれ自分の好きなもの楽しく作ることができる会社を作ったというわけですね。
その後のSONYの勢いはもちろんみなさん知っていますよね。
見えてくる日本の教育問題
「発達障害」を個性や強みとして会社や周りに理解してもらえるかが鍵であることはわかりました。
しかし、問題は、そこに辿り着くまでに絶対に通る学校環境です。
学校では、上で挙げたようにいかないのが現状です。
同じ教室で同じように学習を求められる場所では、やはりどうしても目立ってしまいがちです。
学校では、常に一人で好きなことができるわけではありません。
誰かと一緒に協力したり、グループで活動したりする活動は必ずあります。
そんな時に大事なのは、周囲の理解です。
周囲がいかに特性を理解できるか、教師がいかに特性を理解し、それをうまく作用させるか、全てはそこにかかってしまいます。
また、受験のシステムからもわかるように、日本は平均的にできる出口を作っています。
センター試験では、複数の科目で良い点を取らなければいけません。
つまり、苦手なものであっても、ある程度点数を取れなければいけないのです。
そのような教育の脱却がこれからは求められる必要があります。
終わりに
日本はもともと、多様性を認めるような素地があったと茂木健一郎さんはいっています。
「八百万の神」からもわかるように、西欧諸国の唯一神とは違い、日本には多種多様な神を祀る信仰があります。
また、「十人十色」というようなことわざもありますよね。
いまでは、日本の伝統芸能である歌舞伎も昔は変人が行った奇行から始まったと言われています。
様々な個性を持つ人がいるのが当たり前と考え、一人一人が個性を理解し、それぞれの強みを活かせる社会。
その到来をどのようにして実現させるか。
これから考えていく必要があります。
最近では大人のADHD診断という言葉も聞くくらい、発達障害は身近になったように感じます。
ですが、二人の話を聞けば、「障害」というカテゴリーで扱うこと事態がまず間違いなのではないか。
そう思うでしょう。
今回の記事を読んで、誰かの心の支えを作ることができたら本望です。
もしかしたら自分もそうかも…という人にはもちろん、子育てをしている人、特に自分の子は他の子と比べて何か違うかもと感じる方にぜひ読んでもらいたい内容です。